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みゅうみゅう

Author:みゅうみゅう
美味しいもの大好き!!

 このブログでは、「江戸時代」に焦点を当ててみました。
「江戸時代」といっても260年と長いので、物価に関しては、解りやすく1文20円で統一してあります。

現代のこと、畑や自然や旅行に関しては↓
http://blog.goo.ne.jp/myu-myueno

美味しいレストラン紹介は↓
http://u.tabelog.com/myumyueno/  

まで。。
良かったら読んでくださいね^^


また、江戸時代の色々な文献を読んでみてます。
面白い話題があったら、どんどん
以前の記事を改編していきたいと思っています。
写真の追加とかも・・・。

よろしくお願いします。m(。。)m...☆

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大奥のTVを見ていると、
御台様(みだいさま:みだいどころ)とか御中(おちゅうろう)とか色々出てきますよね。。
だいたいの地位は何となく解るんだけど~~~。
「どんな構成になってるんだろう???」って、考えてたのは私だけでしょうか?

総勢3000名と言われている大奥の構成をここでまとめてみたいと思います。

武家の奥向(おくむき:奥方の居る所)では、
原則として家臣の子女を登用することになっていますが、
御目見得(おめみえ)以下(殿様・奥方に拝謁(はいえつ)出来ない身分)の軽い役職には、
一般子女からの採用もありました。

ではでは。。

まず≪Top of the 大奥≫の【御台様】は、
将軍の奥様ですね。

そして☆【上(じょうろう)】御台様の側近。家格は高いが権力はありません。

次に☆【御年寄(おとしより)】お局(つぼね)様。ちなみに、年はとっていない。
                  大奥第一の権力者。老中クラス。

☆【御中(おちゅうろう)】若手の上級役人。将軍のお手がつくのは、このクラス。

☆【御坊主(おぼうず)】50歳前後の尼姿。将軍附の用をする。


●そして、その下は・・・
【御小姓(おこしょう)】側近の少女隊。
【表使(おもてづかい)】外交官。
【御次(おつぎ)】諸道具管理。
【御祐筆(おゆうひつ)】書記。
【御錠口衆(おじょうぐちしゅう)】本役と助(じょ)があり、大奥の出入り口管理。
【御切手(おきって)】面会人監視役。
【呉服之間(ごふくのま)】衣類調達指図。
【御三之間(おさんのま)】給水場。燃料の調達管理。


●これより下は御目見得以下・・・
【御仲居(おなかい)】調理担当。
【御火之番(おひのばん)】火の元の管理。
【御使番(おつかいばん)】屋内の文書、伝言の係。
【御末(おすえ)】雑役。力仕事。(町人の使われ処)
【御犬(おいぬ)】御末の年少組。大奥の残り物を食べる。


●大奥の正式職人ではありませんが・・・
【部屋方(へやかた)】高級役人の使用人。


例え御目見得以下の採用でも宿下り(卒業)してしまえば、
立派な「元御殿女中」として通りステイタスとして通用します。
なので、みんな大奥を目指すのです。。





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「てやんでぃ、べらぼうめぇ、
 こちとら江戸っ子でい、気が短けぇんだ、
 もたもたしゃがると鼻の穴へ屋形船を蹴込むぞ、
 すっとこどっこい、おとつい来やがれ、ぼくねんじん」

 
    ↑
こんな言葉が聞こえてきそうな、「江戸っ子」とは・・・
「金のしゃっちょこ(鯱:しゃちほこ)を横目に睨み、水道の水を産湯に浴び、
 拝み搗きの米を食って、日本橋の真ん中で育った人」だと言います。。

さてさて、どんな性格だとゆーのでしょう?


まず、「江戸っ子のわらんじ(草鞋)をはくらんがしさ(乱がしさ)」

とゆー川柳にもある通り、かなり騒々しい人物のようです。。


そして、「江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」

とは、まさに「宵越しの銭は持たねぇ」の状況で。
「金離れがよく」「『粋』と「『ハリ』を本領とする」とゆーイメージ。。
「キップがいい」って感じでもあります。。

『粋』は、垢抜けした色っぽさを示す言葉。または、オーラや残り香のようなもの。
 この垢抜けるとゆー言葉には2つの意味があるといいます。
  一つは、体を磨きこんで垢のない体にする、とゆーこと。
  もう一つは、「赤なしで勝負する」とゆーこと。。
  上方の女性は、綺麗な色を好んでいたのに反して、
  江戸の女性達は、「赤は身につけないで」色気を見せることに
  意地を張っていたそうです。

『ハリ』は、反抗心を含む心意気。。


また、勇み肌の粋な姿を表す言葉『いなせ』も大事な江戸っ子の条件でしょう。
出世魚の鯔(ぼら)の未成魚のイナの背を意味する『いなせ』は、
魚河岸で働く若い衆の髷(まげ)に由来し、
威勢の良さを表す言葉として使われていました。
スマートで立ち姿が綺麗なことも大事。

ただ、「間夫(まぶ)にするならいなせはよしな~♪」って歌もあります。

働きのないワルの代名詞としても使われていたよう。。。


そして、『躰量(こや)が軽い』とか『小屋(きや)が軽い』ってゆーのも
カッコイイとされていました。
つまり、身のこなしが軽いって事。。
物事万事対処が早くなくちゃ~~ってね。
もったいぶって、お尻が重いのは見下されていました。


どーです?「江戸っ子」の姿、見えました?














少~~~しでも、江戸を身近に感じてみたいね(^O^)ってコトで
江戸時代の様々な物の値段を列挙してみます。。
(260年もあれば物価もかなり上下している物もあります。
               あくまで、目安。。です。。)

九尺二間の賃貸料
(くしゃくにけん)  400文  8000円

米      1kg  27文   540円
握り寿司    1貫   8文   160円
蕎麦・うどん   1杯  16文   320円 
 
酒       1合  20文   400円     

スイカ     1個  38文   760円 
長命寺の桜餅  1個   4文    80円
串団子     1本   4文    80円  

髪結い(床屋) 1回  28文   560円 
風呂屋     1回   8文   160円 
蛇の目傘    1本 800文1万6000円 

浮世絵     1枚  32文   640円
煙草     1kg 427文  8540円
芝居見物   1桟敷2917文5万8340円


今に近い物もあれば、今より高い物・安い物も・・・。
外国に行った気分になれば、
江戸時代でも生活出来そうになれる位のそんな物価差ですかね。。

見比べてみれば・・・
そんなに遠く感じないでしょう??   





向島・長命寺の桜餅のお話・・・。

当時、<美人で評判だった看板娘>を眺めながら桜餅を食べるために、
午後から日暮れまでの往復をした地方武士の日記が残っています。
そんなこんなでも有名だった長命寺です。。

どれだけ売れてたと思います???
『兎園(とえん)小説』によれば、1824年1年間で38万7500個
とあります。。
1日1062個。機械なんてなかった時代、すごいと思いません?


また、この長命寺の名付け親は、三代目将軍家光公です。
ご存知でしたか?
このお寺の元の名は、常泉寺といいました。
ある鷹狩りの帰り道に、急に具合が悪くなった家光公。
この寺の境内の井戸水を飲んで、すぐ治ったことから
将軍から<長命水>とゆー名を賜り、お寺も改名されたそうです


             桜餅vol.1は→こちらをクリック


現在もこの桜餅は売っています。。
【長命寺の桜餅】
〒131-0033 東京都墨田区向島5-1-14
電話:03(3622)3266 FAX:03(3622)6509
営団地下鉄銀座線:浅草駅より徒歩20分・浅草駅より都バスで10分
東武線:曳舟駅・業平橋駅より徒歩15分






江戸時代には、砂糖が普及したこともあって、
各地で様々なお菓子が作られていました。

江戸名物のお菓子は、
これからもいくつか取り上げたいと思いますが、
今日は<桜餅>。

長命寺の門番、山本新六が考案。

-隅田川の土手には桜並木があって、
 花の季節には、大勢の人々で賑わっていた。
 新六は、桜の葉を塩漬けし餅を包むことを思いついた。。-

こうして、1717年に店<山本屋>を向島の隅田川沿いに開き
<桜餅>を売り出しました。
値段は1個4文80円
桜の匂いが立って、たちまち人気を博したといいます。。


この桜餅は、現在も近くの店で江戸時代そのままに、
桜の葉3枚に包まれて販売されています。。
(ちなみに江戸時代は、葉2枚でした。。)





「居酒屋」の始まりは、江戸時代。。

富裕層の旦那衆の集まる料亭とは違って、
「居酒屋」の客は、大工や職人棒手振などの労働者が主。
江戸の庶民の憩いの場でした。
こうした低収入を相手にした飲食業は、「辻売り」と呼ばれる屋台や
棒手振(棒手振(ぼてふり)は→ここをクリック)が中心でした。
しかし、次第に屋台が固定されたような
小規模な店が増えていきました。。

「居酒屋」は文字通り、酒屋に居ながらにして飲ませるところ。
初めは、酒屋が味を試してもらうためのものっだたそうです。。
小売りの酒屋が、出稼ぎ労働者相手に
店先で枡(ます)や湯飲みで一杯立ち飲みが、始まりとされています。

やがて鎌倉河岸(千代田区内神田)の
【豊島屋】とゆー酒屋が、ただ立ち飲みさせるだけでなく
簡単な肴(馬方田楽:特大豆腐を焼いて味噌を塗る)
も出すようになって、たいそう繁盛しました。
日銭稼ぎの労働者から武士まで押しかけたとゆーから
すごいことです。。
このように一杯やりながら、
小腹を満たせる場へと発展したのが現代の「居酒屋」の原型です。。

【豊島屋】の繁盛に端を発して、
江戸の町に簡単な肴を出す「居酒屋」が次々に誕生していきます。

それから50年程たってくると、少し変化します。
「煮売酒屋」が増えてくるのです。
煮売(にうり)とは、
ご飯に魚や野菜、そして豆なんかを煮て売ること。
持ち帰って食べたり、その場で食べたりしていた「煮売屋」で、
酒を飲ますようになり「煮売酒屋」と呼んだようです。
そうした一方で「飯屋」でも酒を飲ますようになります。
こうした飯も酒も出来るお店の入り口には
「縄のれん」がかかっていたことから「縄のれん」
と呼ぶようになります。。。


居酒屋の中は、
TVの時代劇なんかでは飯台の周りに置かれた椅子に客が座り、
若い女性が燗徳利(かんとっくり)を運んでる様子が
描かれています。。。

日本の酒場で椅子が一般的になったのは、大正時代。。
江戸時代の「居酒屋」では、土間に床机(しょうぎ:横に長い腰掛)、
酒の空き樽にじかに座る、樽と樽の間に渡した板の上に、
または畳の上に座って飲んでいました。
そして、女性でなく若い男性が給仕していたそうです。。

「片足しまって居酒(いざけ)飲んでる」

とゆー川柳にもあるように横に酒と肴を置いていた時代、
かったるくなると片足上げて飲んでいたようで・・・。

値段は、酒1合20文400円~32文640円
肴を2.3品頼み、酒を3合も飲めば
軽く100文2000円近くになった計算です。

「縄のれん」をくぐる気持ちは今も昔も変わらないと、
あちらこちらに描かれています。





江戸は急速に発展した町なので店舗数がまだまだ少なく、
食料品を始めとする日常の生活物資・嗜好品・季節用品etcを
棒手振(ぼてふり)が、天秤棒を担ぎ売り歩いていました。
今でゆー行商人や屋台みたいなもの。
江戸庶民には、なくてはならない存在だったようです。

天秤棒が多かったようですが、他にも箱に入れて売り歩いたり、
軽い物ならざるに入れて売り歩いたり・・・。
とにかく朝から晩まで多種多様。。
現在は、私達がコンビニやスーパーまで買い物に行きます。。
しかし、江戸ではこれのおかげで、
家に居ながらにして何でも買い揃えることが出来ました。。
便利な世の中・・・。冷蔵庫もいりませんね。。
魚売りなんか、包丁持参で我が家まで来て、下ろしてくれる親切さ。。

ちなみに『画帖時世粧』によると、
振り売りと呼ばれるこのような形態の職業は、
中世後期にはもう見られていたようです。


<例えばこんな棒手振>
  
 「食品」  豆腐・塩・鰹節・駄菓子・野菜・鮮魚・ちまき・油・果物
      ・飴・飴細工・水・油揚げ・納豆・かぼちゃ・白魚・醤油
      ・味噌・酢醤油・こんにゃく・餅・串ナマコ・塩引鮭
      ・しじみ・燗酒(かんざけ)・生卵・七味唐辛子
       
 「調理品」 そば・鰻蒲焼・イナゴ蒲焼・ゆで卵・おでん
      ・寿司・団子
  
 「季節品」(春)  初鰹 
      (夏)  白玉の入った砂糖水・冷水・枝豆・ところてん
           ・金魚・うちわ・朝顔・蚊帳
      (秋)  松茸
      (冬)  焼き芋・お汁粉・甘酒
           ・宝船(初夢の時、枕の下に) 

 「雑品」  花・羅宇(らお:煙管)・籠笊(かござる)・薬
      ・笠(かさ)・眼鏡・灯心(行灯用の芯)・薪(まき)
      ・木綿・つけ木(火種用つけ木)

 「技術」  錠前直し・提灯張り・瀬戸物焼きつぎ
      ・古傘買い(買い集めもやっていた)・下駄の歯入れ


店の名前を読み上げてるだけで、楽しくなってきますが・・・
実際こんなお店が次から次から家の前を通り過ぎていたら、
楽しい?うるさい?どっちかなぁ。。。。

   





<九尺二間の裏長屋>が一番平均的で
70%近くがこの間取りだったようですが、、、
裏長屋にも色々なタイプがありまして~~~。
他の裏長屋の間取りと家賃も見てみましょうね。。


古いが安い・日払可
     
専有面積9.9㎡(4.5畳+キッチン)
                 →300文 6,000円


格安便利・伝統の九尺二間   

  専有面積9.9㎡(4.5畳+キッチン)
                 →400文 8,000円


ゆとりの2部屋・独立型キッチン     
専有面積19.8㎡(2畳+6畳+キッチン)
                 →1000文 20,000円


2世帯可・床下収納有

     専有面積33㎡(4.5畳+4畳+キッチン)
                 →2000文 40,000円



500文~1000文の裏長屋が多かったようですね。
狭いながらも楽しい長屋♪と楽しんでいた風景が思い浮かびます。





東京は全国でもっとも「賃貸住宅」の利用者が
多い地区なんだそうです。
善良な一般庶民が家を持つのは難しいとゆーのは、
江戸時代も同じだったようで・・・
江戸庶民の8割は、長屋住まいだったそう。。

その中でも有名な≪九尺二間(にけん)の裏長屋≫の生活の家計簿、
覗いてみましょうか。。。。


        *一ヶ月の家計簿*

          ●家賃 400文      8000円         
          ●米代 1日8合
           (1食につき夫3杯・妻2杯・子供1杯
                       江戸庶民の平均)
             36Kg       19440円
         
          ●銭湯 1回3人で20文(毎日入って)
                 600文   12000円
          ●光熱費  300文    6000円 
          ●おかず代として 1日40文
                1200文  24000円
          ●床屋  1回24文4回行ったとして
                  96文   1920円



                支出計 / 71360円
                収 入 /  10万円
                残 高 / 28640円
          (残りを、交際費や雑費に回す)
                       
                      
これは、ある長屋住まいの棒手振(ぼてふり)を想像して
計算してみたもの。。
零細企業といわれる棒手振でも
1日4~500文8000~10000円の稼ぎがありました。
約10~15日働けば、一ヶ月分の生活費がまかなえる計算です。
    (棒手振ってな~~~に?→ここをクリック


独身者なら、一ヶ月6~7日働けば良いのですが、
実際には
長屋で空きっ腹を抱えごろごろする怠け者が多かったようで・・・・


椀と箸を持って来やれと壁をぶち
とゆー古川柳が残されています。


さて、この≪九尺二間の裏長屋≫。
どれくらいのサイズだかわかりますか?
間口が九尺(約2.7m)奥行が二間(約3.6m)。
今でゆー3坪(約9.9㎡)6畳一間のワンルームってことですね。。

しかしこの中に土間があって、へっつい(かまど)が据えられて、
水桶があって、、、、。。
だから実際に今兼住居として使えるのは4畳半位でしょうか?    

部屋は畳敷きの物もありましたが、
板の間に筵(むしろ)を敷いた物が多かったよう。
その部屋に、茶箪笥・火鉢・行灯・夜具・行李(こうり:服入れ)
を隅に寄せ、衝立(ついたて)で隠すと残りは3畳。。

その中で親子3人暮らすのは、
家とゆーよりコックピット???
長屋は外に開かれていたとゆーけれど、
開かずにはいられないって感じ?


これより狭い、お部屋もあったそうです。
どんな感じになるんでしょう????????    

  



           
江戸時代に急激に発展した理由には、
社会的システムの整備があげられます。。

その整備について『江戸の料理と食生活』には、
下記のように書かれています。


①生産力の発展
  新田開発で耕地が増大したことにより、
  米・野菜・果実などの生産力が高まった。
 『農書』に見られるような農業技術の改良・普及によって、
  様々な作物が各地で作られるようになった。

②流通網の整備
  五街道・宿駅の整備。
  河川交通網と海洋航路の組み合わせによって、水運が発達。
  全国各地の名産品・特産品が、流通される。

③酒・調味料の企業生産
  酒の企業生産は室町時代に始まっていたが、
  これに醤油等が加わり、広く流通。

④米嗜好と肉の禁忌・水産業の発達
  米をベースにした味覚形成が進む。
  漁業の発展により、魚介類の供給が確保。

⑤料理技術の一般的普及  
  室町時代までは、口伝・秘伝が主流。
  料理書の出版が盛んになり、知識・技術が広まる。
  


 このような社会発展から、料理の展開がされていきました。
 ただし、
 このような恩恵をこうむるのは主に大都市に暮らす裕福な人々。   
高度な料理文化が地方まで広まるのは、
 江戸も後期になってからでした。  







  
味噌の起源は、諸説ありますが・・・・・・

日本では、8世紀始めの「大宝律令(たいほうりつりょう)」に
大豆を原料に作った「醤(ひしお)」が記録として残っているのが
最初でしょうか。
(醤→穀醤(こくびしお)。味噌のようなどろっとした調味料。)
(ここまでは醤油と同じです。→醤油の起源はここをクリック
(他にも、大豆を発酵させた「鼓(し)」が元であるとゆー説も有力。)

           ↓

飛鳥時代に渡来した高麗人が「醤」や「鼓」を元に豆味噌の作り方
を伝播しました。

           ↓

徐々に米や麦など色々な味噌が製造されていきます。

           ↓

鎌倉時代頃までは、味噌は豆腐や野菜に塗ったり、
「みそうず」とゆー雑炊にしていました。

           ↓

室町の頃から「漉し(こし)味噌」を溶かした味噌汁が
一般的に飲まれるようになりました。  

           ↓

特に大きな発展を遂げたのは、戦国時代。
米や塩と共に兵糧食として重要だったことから、武将の保護の下、
その地域特有の味噌が作られるようになりました。
全国各地に様々な味噌が生まれたのは、この時期です。

          武田信玄が奨励して作らせたのが<信州味噌>。

           ↓

江戸時代に入ると、味噌屋が誕生して売買が盛んになり、
庶民に普及していきました。
(まだ一般的でなかった砂糖やみりん、
     そして、まだ高価だった醤油に比べて安価でした。)
(「手前味噌」とゆー言葉が残るように、味噌は元来
  自宅で作っていました。京阪ではその習慣が残っていました。)


江戸時代に食された有名な味噌は
                 <仙台味噌>と<江戸甘味噌>。

         両方とも、こってり味噌。人気を二分。。。 
  
     仙台藩伊達家の政宗が作らせたのが起源の<仙台味噌>
               ・・・・・濃厚辛口で貯蔵性が高い。

     家康の命を受け江戸初期に誕生したのが<江戸甘味噌>。
           ・・・・・香りが芳醇な赤味噌。
             塩分が少ないため、貯蔵性は低い。
             米麹をたっぷり使った「高級味噌」。
             味噌汁より、どじょう汁や
             鍋物に合うことから中期以降に普及。
            「京の西京味噌のような味噌を
                 江戸にも」と作られた味噌。          


もちろん調味料として色々に使われていましたが、
江戸時代、味噌汁は毎日の必需品!
1697年刊行の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』には、
「味噌はわが国で毎日用いる汁」であり、
「1日もなくてはならぬもの」とされています。。


今は、なかなか毎日食べる人は少なくなってきましたが、
江戸時代は、醤油より使いやすく大量に使われていたようですね・・・。     






江戸時代に使われていた太陽太陰暦は、
季節をより実感できる暦でした。。
今のカレンダーとはちょっと違う日の動きですが、
どんな行事が行われていたのか?見てみたいと思います。


≪12月≫

1日・・・・・ 【朔日(さくじつ)お供え】
     【乙子朔日】一年の最後の月を迎えるにあたり、
          一年が無事息災に終われることを感謝して
          食べる餅。
     【鶴の献上】将軍家から天皇家へ鶴の贈り物。
          当初は将軍自身が捕らえたものでしたが、
          後には、餌付けしておいた鶴を献上していました。

8日・・・・・ 【事納め】農作業終了。正月歳時の始まり。 

    
       「上笊(あげざる)」笊を竹竿にくくりつけて、
       屋敷へ立て招福と魔除けにしたそうです。
       この日天から降ってくる福を受け、
       笊の目を見て魔物が逃げるとされていました。    

   
13日・・・ 【煤払い(すすばらい)】江戸中の家が一斉に大掃除。
        終わった後の食事には、簡単な握り飯や煮しめ。
        *江戸城では、1~12日までに掃除。
        13日(江戸初期は20日)に完了の祝儀。
        *大店では、祝儀と称して次々に胴上げする。  


       「胴上げのはやし音頭」→
       めでためでたの若松様よ~枝も栄えて葉も茂る~~
       おめでたやぁ~~サッササッササ~~~♪  


15日・・・ 【餅つき締め切り】餅を買う場合、予約の締切日。

21日・・・ 【別歳】親戚や知人を集めて、年忘れの宴会。忘年会。

25日・・・ 【餅つき】町の諸所で餅つき。
 ~27日    家々でつかれた餅は、親戚などに配られる。

         
      「丸餅」は、心臓を象徴していると言われ、
      長寿や壮健への願いが込められているそうです。
      江戸初期は丸餅の江戸っ子。
      せっかちさから、一挙にのして切る様になったそうです。
   

28日・・・ 【門松】門松を立て、注連飾り(しめかざり)をする。
 ~29日

晦日・・・・・ 【大晦日】年越し。
(みそか)     

     「王子稲荷装束」榎の下に狐火を多く見る。   
      関東8カ国の狐が1000匹あまりも集うとされ、
      明年の吉凶を占ったそうです。
 
     「掛け取り(かけとり)」大晦日に提灯を下げて夜更けまで
      歩いているのは、借金の取立て屋さん。
      仮病を使ったり、一晩中トイレに隠れたりしていました。
      正月になれば催促が伸びたそうです。。。



そんなに、現在の暮れの様子と変わらないようですね。。


  *『年中歳時記』『東都歳時記』『魚鳥野菜乾物時節記』から。





江戸で人気の菓子には、餅菓子が多いように思います。
その中で<大福・団子・幾世餅>を取り上げてみます


≪大福≫
薄い餅の皮小倉餡を包んだもの。
江戸時代には両面を焼いていました。
行商が籠の中に火鉢を入れ、餅を蒸し焼きして暖かいものを売り、
冬の夜には大人気だったようです。
「大福」とゆー名前から、
紅白にして慶事に使われるようになったのも、江戸時代です。

≪団子≫
うるち米などの穀類の粉を水でこね、
小さくまるめたものを茹でたり蒸したりしたもの。
あんこや醤油だれをつけて売っていました。
串に4個の団子がついて4文80円
(もとは5個ついて5文だったのですが、
 一番出回っていたお金は4文銭貨だったため↑になったそうです。)
中世より月を愛でる習慣はありましたが、
供え物をするようになったのは、江戸時代です。

≪幾世餅≫両国の「幾世餅」は、江戸名物として有名でした。
現在は、落語の中でのみ生きているお餅です。



それぞれ4~5文80~100円とお手頃な価格でした。






醤油の起源は、
古くから東南アジアにみられる「魚醤」と考えられています。
(魚醤→小魚等を塩漬け発酵させたもの。ナンプラー・ニョクマムetc。)

             ↓

日本では、8世紀始めの「大宝律令」に
大豆を原料に作った「醤:ひしお」が記録として残っているのが
最初でしょうか。
(醤→穀醤(こくびしお)。味噌のようなどろっとした調味料。)
(これをルーツに、味噌も作られています
               →味噌の起源はここをクリック

             ↓

鎌倉時代に金山寺味噌を作る過程で、
桶に残った汁を漬物に利用したのが
「たまり醤油」の始まりとされています。。

             ↓

室町末期、味噌同様、家でも作れる調味料として、 
醤油は関西各地で生産されるようになりました。

             ↓

江戸前期は、まだまだ庶民には高値の花。

米1升が26文520円、伊丹の極上酒が80文1600円。
大阪の醤油は108文2160円。銚子の醤油は60文1200円
でしたが、
やはり日常的に使用できる調味料ではありませんでした。

この頃の調味料の主流は味噌。
この頃発行された『慈性日記』や『料理物語』での
うどんやそばのつゆは、<煮ぬき><たれみそ>といった
味噌ベースのものでした。

             ↓

江戸中期。関東諸国で醤油醸造業が増え、
庶民が気軽に使える調味料になってきたのでした。。

でもこの頃は、安い関東醤油より、
味品質ともに上方醤油(‘下り醤油’と呼んでいた)の方が、
圧倒的なシェアを誇っていました。 
(醤油の原料:大豆、大麦、塩、水)
             ↓

江戸後期には、関東醤油が
江戸の味を作り上げ市場を席巻していきました。

(醤油の原料:大豆、小麦、塩、水)

(上方:薄口醤油。関東:濃口醤油。)



<江戸時代の醤油・最上ブランド>
幕府に「最上醤油」と認められた、7銘柄

     ☆ヒゲタ
     ☆ヤマサ
     ☆ヤマジュウ
     ☆ジガミサ
     ☆ジョウジュウ
     ☆キッコーマン
     ☆キハク

           
      現代に受け継がれている味を作り上げてきた、   
            聞いたことあるブランドがいくつか・・・^^。






現代の人々と同じく、江戸の人々も
何かにつけては集まり、騒ぎしていたようです。

そーすると<酒>は必然的についてきます。
それはもう~~~~~、ってゆー話いっぱいあるようで・・・^^;

「目出度やな、下戸の建てる倉もなし、上戸の倉も建ちはせぬけど」
(酒代は浪費とゆーけれど、下戸だったおかげで
         財産家になったなんて事も聞かないけどね)

「朝もよし、昼もなおよし晩もよし、
        その会々に、チョイチョイとよし」

「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした~~~♪」

「箱根からこっちに下戸と化物はいない」



こ~~なってくると現代人よりすごいかも????
        ↓

朝出る前に茶碗に半分軽くひっかけ。
(厄払いの効果があるといわれてた。。
       活を入れるドリンク剤としての役割!?)

午後、仕事がひと段落すると、
お昼ご飯とおやつを兼ねて、軽く一杯。。

帰宅して、風呂あがりには晩酌。。

夕食済ませて、寝る前に一杯。


           こんなそんなの日常に人情話に一杯。
           四季折々の風流肴に一杯。。
 

毎日、飲んだくれてた江戸人たちでしたo(^o^)o







 
日本料理ってどんな流れで今まで来ているのか?
そんなこと考えたことありませんか?

そんなこと考えて、時代をさかのぼってまとめてみました^^。


<古代>
   堅鰹煎汁→味のベース。出汁。調味料として使用。 

<弥生時代>
   朝鮮半島経由で、本格的に水田稲作が始まる。

<平安時代>
   中国から影響を受けた大饗料理を用いていた。

<鎌倉時代>
   精進料理。

<室町時代>
   日本的な本膳料理。
   日本料理の基礎が発展。
   儀礼的な冷めた料理。
   鰹節→鰹出汁として使用。
   北海海の昆布・味噌・麹・酒→全国に流通。

<戦国時代>
   茶の湯の発達。
   精進料理&本膳料理の長所を入れた
        会席料理(現在の懐石料理)が茶の湯に誕生。

<江戸時代・元禄>
   料理の世界に会席料理が登場。
        *ここでの会席は上記と同じく懐石。
         季節感を大事にした、
           盛り付け・しつらえに心配った料理。

<江戸時代・後期>
   現在の宴席料理である会席料理が流行。
   懐石と会席。呼び分けが始まる。
   

江戸時代のことは、これから書くとして、
ホントに簡単ですが、こんな感じ。


室町時代までに築き上げられた、

日本料理の基礎が江戸時代に発展。

そして、

大衆化・庶民化していったのでありました








ホームスティを始めて
「江戸東京博物館」にちょこちょこ顔を出したり、
「日本について」色々説明したりすることが多くなりました
そーこーするうちに、
だんだん日本文化を考えることが多くなっていったのです。。。
そこには必ずといっていいほど「江戸」の香りがあるのです。
みゅうみゅう・・・実は「歴史」嫌い。
「江戸時代」のこともほとんど解らないのですが、
「食文化」「料理文化」「生活史」といった観点からなら、
興味深く、「江戸時代」にせまれるのでは・・・と思って
ここにブログを始めることにしました

「生活」に身近なものを中心に取り上げていきますので、
たまには遊びに来てくださいませ~~~~。

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