fc2ブログ

プロフィール

みゅうみゅう

Author:みゅうみゅう
美味しいもの大好き!!

 このブログでは、「江戸時代」に焦点を当ててみました。
「江戸時代」といっても260年と長いので、物価に関しては、解りやすく1文20円で統一してあります。

現代のこと、畑や自然や旅行に関しては↓
http://blog.goo.ne.jp/myu-myueno

美味しいレストラン紹介は↓
http://u.tabelog.com/myumyueno/  

まで。。
良かったら読んでくださいね^^


また、江戸時代の色々な文献を読んでみてます。
面白い話題があったら、どんどん
以前の記事を改編していきたいと思っています。
写真の追加とかも・・・。

よろしくお願いします。m(。。)m...☆

最近の記事

カテゴリー

FC2カウンター

翻訳機能

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

リンク

天気予報


-天気予報コム- -FC2-
江戸時代の漁業で特筆すべきは、
食用だけでなく、灯油肥料農薬としても利用できる捕鯨が盛んになったことだそうです。

江戸初期には、近海を南下する鯨を組織的に捕獲するようになっていました。
しかし、多人数を要する事から限られた地域のものでしたが。。
捕獲地は、尾州・紀州に始まり、関東・東北・九州などに広がりを見せていきました。

どのように食されていたのでしょうか?
主に汁物として利用されていましたが、現代のように流通が良い時代ではなかったので、
地方によって流通形態は違いました。
『江戸食べもの誌』には・・・
紀州から九州にかけては鯨漁が盛んだったことから、
鯨の生肉を鍋物にしたり、味噌汁やすまし汁にして食していたとあります。
井原西鶴の『日本永代蔵』には・・・
京都を舞台に酒漬にした皮付き鯨肉を味噌汁かすまし汁に仕立てた
「皮鯨の吸い物」が登場しています。
関東から北では、鯨を塩漬けにしたものが流通されていたそう。

また、鯨は冬の季語。
江戸時代の歳末大掃除「煤払い」には、欠かせない食材になっていました。





スポンサーサイト



               今は、東京名物として有名などじょう。

どじょう鍋


<どじゃう>が<どぜう>として記載されるようになった江戸時代には、
どのように食べられていたか、ちょっと調べてみました。

まずはどじょう料理を知らない人のために
現在、有名なのは【どじょう鍋】と【柳川】。。
下拵えしたどじょうに割り下を合わせ、
葱とごぼうをどさっとかけて軽く煮込んだのが【どじょう鍋】
これを卵でとじて火から降ろした状態で食すのが【柳川】といいます。。

では、江戸時代は?

なべぶたへ力を入れるどじやう汁

念仏も四五へん入れるとどじゃう汁

とゆー川柳で歌われるように、【どじやう汁】が一般的でした。
ささがし(笹掻き)ごぼうを鍋に入れ煮たて、
生きたまんまのどじょうをそのまま放り込み、
すばやく蓋。そして、煮込みます。
(当時、葱は入れなかったらしい)
味噌や七味唐辛子や山椒で、汁だくさんに仕上げていたそうです。

料理屋では【どぜう鍋】。
あらかじめ骨まで下茹でした姿煮や
頭を落とし骨や内臓を綺麗に取り除いた開き身で作っていました。
こちらは1鍋200文4000円)。
高級ですね~~~。

ちなみに私がよく行く【駒形どぜう】では、1鍋1650円。
(こちらの記事は→ここをクリック。)
倍以上ですね。
こちらのお店は、江戸時代から200年続くお店。
江戸時代のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』にも記されています。
ご興味のある方は、どうぞ。美味です。。





現代に生きてる我々は、たいてい好きな数の子。
これは、江戸時代からありました。
で、格的にはどうっだたと思います??

これが、きわめて安直・下種(げす)で野暮とされていたのです。

それは何故?

①音を立ててものを食べる姿が、江戸前の美意識にマッチしない。
②当時の塩蔵品は今と比べるとかなり塩がきつく、
 これがあると、後生大事の「御飯」が進みすぎる困るおかずだったのだ。



こんな川柳もあります。。。

たいがいにしろと数の子引たくり(ひったくり)


江戸時代には、黄金色のめでたさと子孫繁栄に繋がる「数の子」とゆー
名を買われ、お節の定番キャストに大出世していたのだが・・・
美意識にはマッチしていなかったのでした。


では、江戸前に美意識に合う酒の肴とは?

嘗める(なめる)が主流。
例えば、味噌類。魚介の味噌、内蔵も含む。。。
他は、噛む(かむ)。
例えば、豆腐や刺身。。

音を立てない肴類が粋だったんですね。。





| ホーム |


 上ニ戻ル