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みゅうみゅう

Author:みゅうみゅう
美味しいもの大好き!!

 このブログでは、「江戸時代」に焦点を当ててみました。
「江戸時代」といっても260年と長いので、物価に関しては、解りやすく1文20円で統一してあります。

現代のこと、畑や自然や旅行に関しては↓
http://blog.goo.ne.jp/myu-myueno

美味しいレストラン紹介は↓
http://u.tabelog.com/myumyueno/  

まで。。
良かったら読んでくださいね^^


また、江戸時代の色々な文献を読んでみてます。
面白い話題があったら、どんどん
以前の記事を改編していきたいと思っています。
写真の追加とかも・・・。

よろしくお願いします。m(。。)m...☆

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江戸でネギが栽培されるようになったのは、
関西からの入植者が開拓した砂村や
宿場町として栄えていた品川でした。
これらのネギは関西系の葉ネギ。
寒さに弱く霜枯れしてしまいましたが、
土の中の白い葱は変わらず美味だった為、
改良されて白茎葱として発展。広がっていきました。

とくに「千住ネギ」は、
その品質・収量が優れていることから、関東の代表品種となり、
日本全国で栽培されるほどの人気になりました。
産地の中心は、南葛飾郡金町村(現在の葛飾区金町・東金町)で、
砂村から伝わった「砂村ネギ」と地元のネギ等から
選抜改良されていきました。。

ネギの白い部分は、葉の一部が重なったものですが、
ここが長くて、びっしりと詰まったしまりのよいもの程、
良品とされます。
その為には、最初から深く植えるのではなく、
成長に従って徐々に土寄せして盛り上げていく栽培方法が有効でした。
これには、水はけがよく乾燥しない土が適していて、
崩れやすい火山灰土は向きません。
「千住ネギ」の産地である葛飾区・足立区一帯は、
もともと川の氾濫地帯で水分を含んだ沖積(ちゅうせき)地帯の為、
ネギの栽培に最適だったのです。

ここ千住に日本で唯一、長葱だけの市場が今もあります。
屋号は山柏、江戸末期から続く青果市場(現:山柏青果物市場)です。

江戸時代は、他の物も扱う市場だったのですが、
現在ではこの日本でもまれに見る専門市場(つまり葱のみ)。
ここには近郊の極上ものが続々と集まってきます。
競りの時間は朝の6時半から、それもわずか10分程。
この市場があってこそ、高い品質と流通が守られています。







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江戸時代、食べられることが多かった瓜。
日本では古来から「ウリ(フリとも)」の名で親しまれてきました。
縄文時代に伝わってきたとされています。

江戸時代にも様々な種類が出回っていました。
その中でも今回は、いくつかの瓜を取り上げてみたいと思います。
(胡瓜(きゅうり)は、前回取り上げましたよね?)

歯ごたえが自慢の白瓜・越瓜(しろうり)
奈良漬や浅漬けにして、よく食卓に上ったそうです。
胡瓜(きゅうり)より堅く、
その歯ごたえが江戸人の好みにあっていたのですね。

有名なのは、田端シロウリ(現在の文京区田端付近)や
      玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)
            (現在の大阪市中央区玉造付近)。

とくに玉造黒門越瓜は、一般に<くろもん>と呼ばれ、
実は最も長大、濃緑色で八~九条の白色の縦縞があり、
糟漬けにして美味しかったコトから浪花名産の一つとされていました。
江戸時代の狂歌師・貞柳も、

黒門といえども色はあおによし奈良漬にして味をしろうり

                    と一首読んでいます。


続いて、甘みが魅力の甜瓜・真桑瓜(まくわうり)
『水菓子』という異名を持つほのかな甘みの瓜。
副食として人気でした。
鳴子瓜(なるこうり)として呼ばれていたのは、その産地名から。
(現在の新宿区成子坂付近)
江戸初期 幕府は、
美濃の国真桑村から農民を呼び寄せ、
鳴子と府中の是政村(現在の府中市)に御用畑を設け、
甜瓜を栽培させていたそうです。

「上等の瓜で、唐瓜とも言い、暑気をはらい、
   喉の渇きを止め、二日酔いによく効くと、重宝がられている」


                     とあります。

そして今回最後は、冬瓜・鴨瓜(とうがん)

原産地は東南アジア。
古くは果実の表面に毛があることから
加毛宇利(カモウリ)とも呼んでいました。
「カモ=毛氈(もうせん)」に似ていると見たのですね。

奈良時代には価格がウリのなかで最高であったともいわれます。

江戸時代には、冬瓜を切売りしている様子が画かれているものもあり、
よく食べられていました。
果実は貯蔵性にすぐれ、半年間の保存にも耐えられます。


瓜は、庶民にとっても身近だった野菜。
いろんな種類があるのはもちろん、
ひとつの野菜にも様々な字が当てられていました。
上に記載されている漢字もその中の一部です。。











現在でもよく食べられる胡瓜。
インド北部、ヒマラヤ山麓が原産です。

日本では平安時代から栽培され始めます。
胡瓜の「胡」という字は、
シルクロードを渡って来たことを意味しています。

江戸時代 、胡瓜は、毎日の食卓に頻繁に登場したといわれています。

「 切り口が葵の御紋に似ているから恐れ多い 」

と、口にしない武士もいたといいますが、
庶民は、生で・ぬか漬けで・一夜漬けで、好んで食べていました。

江戸で最初に胡瓜が作られたのは砂村。
(現在の江東区北砂・南砂付近)
節成胡瓜(ふしなりきゅうり)という品種が
関西方面から伝わってきたことに端を発します。

胡瓜は、気温や風雨といった気候条件には左右されますが、
土の性質にはこだわらず、
保水能力さえあればどこでも栽培できる野菜です。
砂村で盛んに栽培されるようになったのは、
むしろ下肥の入手が容易であったことが要因のようです。
胡瓜は、短期間で成長する野菜。
当然何度も追肥が必要になってきます。
なおかつ水肥を好むので、下肥は有効だったのです。

また、<聖護院胡瓜(しょうごいんきゅうり)・京都>や
<毛馬胡瓜(けまきゅうり)・大阪>は、
江戸時代に品種改良されたものです。



ただし、江戸初期の胡瓜は相当苦かったようで・・・。
なぜなら、当時、
胡瓜は完熟させて黄色く熟したきゅうりを食べていたようなのです。
その頃の文句が残っています。

「 これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり。(菜譜1714年)」 

「 毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず。(水戸光圀)」



江戸末期になり、江戸砂村できゅうりの早出し栽培が始まります。
今のように緑色の胡瓜が出回るようになったのです。
それから、がらっと胡瓜の野菜としての格が変わりました。

ご飯のおかずやおやつに便利な野菜・胡瓜は、
江戸末期から庶民の喜ぶ味の野菜になったわけですね。









江戸の都市部では白米が浸透し、
ビタミンB1不足からくる『脚気』を患う人が増えていました。
(これを【江戸患い(わずらい)】と呼んでいました。)
その中、小松菜は真冬にも食べれる青物として重宝がられていたのです。
今でこそ1年中出回っていますが、もとは冬野菜の小松菜。
寒い時期こそ美味しくなる野菜なのです。

この小松菜。
原産地は南ヨーロッパの地中海沿岸といわれ、中国を経て、
鎌倉時代には日本に入ってきました。

そして、江戸初期には、江戸川区近辺で盛んに栽培されていたといいます。
中川と江戸川に挟まれた温暖な低湿地が生育に適していたようです。
ただし、この頃は<葛西菜><冬菜>と呼ばれていて、
決まった呼び名はなかったのです。

その<葛西菜>を小松川村の椀屋九兵衛が品種改良し、
味・香り・栄養ともに優れた葉野菜に育て上げます。
これが現在の小松菜です。

<小松菜>の命名したのは、江戸中期、八代将軍吉宗であったといいます。
鷹狩で訪れた吉宗の休憩所として使用した香取神社の神主が、
餅のすまし汁に小松菜をあしらって吉宗に差し上げたところ、
大変喜ばれ、小松川の地名から<小松菜>という名を与えたといわれています。

江戸後期の『新編武蔵風土記稿』の中には、

「菜は東葛西領小松川辺の産を佳作とする。
                世に小松菜と称せり。」
とあります。

小松菜が広く親しまれていたことが、伺えますね。







現在の国内作付・収穫量ともにトップクラスの野菜。
私達にも身近なこの食材<大根>が、
(英語で表すとJapanese Radish。)
意外にも、外来種だって知ってます?
しかし、鎌倉時代には普及していたとはいえ
日蓮上人の見た大根は「大仏殿の大釘」程の太さ。
品種改良が進められたのは室町時代の中期。
今のような太さ・大きさになったのは江戸時代の中期の頃だとか。

大根はいずれ世帯の料理草

江戸時代も中期になると、大根は庶民の味方に。
練馬大根を筆頭に亀戸大根等、近郊でふんだんにとれました。
安価で利用価値大。
今以上に使われていました。
生で、おろして、塩もみ、ぬか漬け、三杯酢、ゆでて、煮込んで、
炒めて、揚げて・・・・。
捨てる部分もありません。
葉はみじん切りにして、ふりかけに。
皮は細く切って、きんぴらに。。
食べごたえもあって胃にもたれないと大人気でした。

下女大根五百三本ほどにうち

二の腕たくましい山出しの下女は、ざくざくっと大根をきざみ、
千六本の倍の太さにきざんでるとゆー茶化し川柳です。







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