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みゅうみゅう

Author:みゅうみゅう
美味しいもの大好き!!

 このブログでは、「江戸時代」に焦点を当ててみました。
「江戸時代」といっても260年と長いので、物価に関しては、解りやすく1文20円で統一してあります。

現代のこと、畑や自然や旅行に関しては↓
http://blog.goo.ne.jp/myu-myueno

美味しいレストラン紹介は↓
http://u.tabelog.com/myumyueno/  

まで。。
良かったら読んでくださいね^^


また、江戸時代の色々な文献を読んでみてます。
面白い話題があったら、どんどん
以前の記事を改編していきたいと思っています。
写真の追加とかも・・・。

よろしくお願いします。m(。。)m...☆

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長屋の朝は、明け六つ(午前6時頃)に始まります。
普通明け六つの鐘が鳴らされるのは、夜明け30分前。
まだ暗いうちから、江戸の朝は始まっていたのです。

朝食はどんなものだったのでしょうか?

まず1日分のご飯を炊いて、鍋で御御御汁(おみおつけ)を作ります。
調理はこれだけ。
漬物鉢を出せばおしまいです。。

ゆとりのある家では、煮た豆などのおかずがつくこともありましたが、
通常は「飯・御御御汁・漬物」が定番でした。
たまに納豆がつくと大喜びの朝食だったのです。

納豆と蜆(しじみ)に朝寝起こされる

ただ、御御御汁の具は毎朝、
天秤棒で家先にまで売りに来る棒手振り(ぼてふり)から新鮮なものを買います。
 (上記の川柳にもありますね。。。)
具は、必ず2種類以上だったとか。。。
 (今の食事事情を考えると、逆に<ご馳走>と言えるのかもしれません。
だけど、この字すごいですよね?
「御」が三つ。非常に価値ある食べ物だったことが想像されますね。
そして、この御御御汁、飲まれるのは朝だけだったようです。
大振りのお椀でいただいていました。

炊き上がったご飯は、釜から飯櫃(めしびつ)に移され、
これで1日が賄われます。
ご飯は、朝のみ炊くものだったのです。。






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江戸市民は、元旦・二日・三日の「三箇日」にそろって「雑煮椀」を食べるならわしでした。

江戸の「お雑煮」とはどんなものだったのでしょう?

江戸は、多国籍都市。
諸国からたくさんの人が流入して暮らしている都だったので、
ひとつ屋根ごとに異なる「ふるさとの雑煮」がありました。
味噌味・白味噌味・すまし汁・けんちん汁・煮込みetc...
はじめは、みんなこれを食べていました・・・。

さて変わって、江戸にも「江戸の雑煮」がありました。
家康が江戸入りした頃からずっと変わらず守り伝えられている味。
いたってシンプルな具。
焼いた切り餅に醤油味のすまし汁。
小松菜・大根・里芋が泳ぐように、ちょこっと入ってるもの。

これはめでたさに浮かれる正月気分を引き締め、奢りを戒め、
質実剛健の「もののふのこころ」を忘れないようにしようとする心。
これを将軍をはじめ、旗本・御家人・中間・小者といったものまで、
貴賎の別なく主従平等の椀を三日間食べ続けることによって、
家内の団結を一層高める役割があったそう。。

神君家康公の教えは絶対でした。
代々の将軍は、これに習い「質実剛健な江戸の雑煮」を受け継いでいきます。
将軍がこれをするのですから、まさか「豪華な雑煮」を従者が食べるわけにいかなく・・・
右に習えで、延々とそうなっていきます。

これがいつしか庶民に広がり、
裏長屋の中まで、
この「質実剛健な江戸の雑煮」「質素で慎ましやかな雑煮」を食べることになります。

そして、この川柳。

三日喰う雑煮で知れる飯の恩

米大好きな江戸庶民、正月頭の我慢のしどころになったのです。
米を食べれないのは、さぞ辛い出来事だったのでしょう。





日本で始めてラーメンを食べた人、それは<水戸光圀公>です。
<黄門様>です。。

<光圀公>はあるとき、来日していた中国の儒学者<朱瞬水>を水戸藩に招きました。
武家社会に中国熱が高まっていた時代、
本場の儒者から直接まなびたいとゆー気持ちがあったのでしょう。
儒学にひどく熱心だったとゆー記録もある<光圀公>です。

その<朱瞬水>が中国の珍味として、ラーメンを振舞ったのが初とされています。

 ( 現在の後楽園(東京都文京区)は、水戸藩上屋敷があったところで、
 この後楽園とゆー名前も<朱瞬水>が名付けたそうです。)

<朱瞬水>は中国をより知ってもらおうと唐の品を色々献上しています。

小菅桂子の『水戸黄門の食卓』では、献上品の中にレンコン粉が必ず入っていたとされます。
<朱瞬水>はこれを使った平麺を打ってもてなしたそうです。
スープには、豚の腿肉を塩漬けにした中国ハムを使用。
塩味のラーメンでした。
この時、<光圀公>は、麺の薬味であった【胡椒】も伝授されています。

この時は麺は、田舎そばのようであり、薬膳料理のようなものと言います。
美味しかったかは、ちょっと疑問です。

ただ、<光圀公>はこの麺をいたく気に入り、後に自分で打っていたそうです。
手打中華麺に五辛(生姜・にんにく・ニラ・葱・らっきょう)を添えるのが、黄門流でした。






鮨の歴史は古く、奈良時代から存在したといわれています。
貢納品として政府に納められていたようです。
当初は、鮒や鮎等の魚介類に塩を振りご飯と一緒に漬け込んだ「熟鮓(なれずし)」でした。
この頃は、ご飯は食べるものではなく捨てていました。
魚介類の保存食だったわけです。
琵琶湖周辺の「鮒鮨」にその名残をとどめています。 


          ↓

室町時代に入ると、「なまなり」「なまなれ」と言って、
漬け込み時間を短縮しご飯も一緒に食べる鮨へ変化していきました。

          ↓

江戸中期の元禄年間に入ると、
魚やご飯に酢を入れた今のタイプの鮨に近づいてきました。
上方から「押し鮓」が入ってきたのです。

行楽のお供として食べられていた「押し鮓」は、
棒手振(ぼてふり)や屋台で売られていました。
花見の席への出前もあったとされています。

この鮨は、漬け込み時間が「なまなり」より早いので
「早ずし」「一夜ずし」とも呼ばれていました。
これには「箱鮓」「柿鮓」などがあります。

          ↓

続いて登場するは、「笹鮨」別名「笹巻鮨」「けぬき寿し」。
江戸・安永年間のことです。
鮨飯を1個ずつ熊笹で巻いて軽く押しをしたものをいいます。

          ↓

いわゆる江戸前、「にぎり鮨」が登場したのは江戸・文政年間(1818~30)。
華屋与兵衛とゆー人が開発されたそうです。 

鮨種には、こはだ・白魚・鮑・玉子焼きなど。。
(現在人気の高級魚・鮪のトロはこの頃は見向きもされないものだったとか・・・
      →ヅケにして売り始めた頃から定番として定着したそう)
気の早い江戸っ子にぴったりの即席鮨の屋台は、またたくまに普及しました。

ところが、当時のグルメブームと相まって1個200文(4000円)もしたそうです。
まあ、その後天保の改革で贅沢を理由に鮨職人が200人以上捕まったことを皮切りに、
価格破壊が起こり、結局1個4文(80円)に落ち着いたそうですが。。。
「稲荷鮨」1個4文(80円)
併せて、大工や丁稚にも口に出来るファーストフードとしての地位を確立しました。



江戸の中期
にこのように大流行し始めた理由として、
酢・醤油・塩等の流通、東京湾の魚介類の豊富さ、
そして、江戸っ子の気の短さに一因があると思われます。。。






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